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【火垂るの墓】西宮のおばさんは冷たい?態度を変えた理由5選

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2025年8月15日、金曜ロードショーでアニメ『火垂るの墓』が放送されました。

テレビでの放送は実に7年ぶりで、戦後80年という節目の年の放送とあって、Xでは関連ワードがトレンド入りするなど、大きな話題となりました。

その中でも特に視聴者の関心を集めたのが、清太と節子を一時的に預かる「西宮のおばさん物語序盤では優しい様子だったのに、徐々に冷たい態度へと変わっていった理由に注目する視聴者が多く見られました。

この記事では、西宮のおばさんの態度が冷たくなった理由5つの考察をメインに、清太や節子との関係、高畑勲監督の意図をまとめます。

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目次

【火垂るの墓】西宮のおばさんの態度が冷たくなった理由5選

『火垂るの墓』の中で、清太と節子を預かることになった西宮のおばさんは、最初こそ温かく迎え入れてくれたものの、次第に冷たい態度へと変わっていきます

その背景には、戦時中という特殊な状況や人間関係のすれ違いなど、いくつかの理由がありました。

ここでは、視聴者の間で語られている5つの理由を紹介します。

  1. 戦時中の食糧難
  2. 長期化するにつれ経済的・精神的負担が増した
  3. 清太の態度に不満があった
  4. 見返りがないことが分かった
  5. 軍人への不満

順番に見ていきましょう!

理由①戦時中で食糧難だった

西宮のおばさんの態度が冷たくなった理由といわれる1つ目は、『戦時中の食糧難』です。

戦時中の日本では、食糧配給制度の下でも十分な食べ物が手に入らない状況が続いていました。

西宮のおばさんも、自分の家族の分すら確保するのが困難な状況で、清太や節子を受け入れることが大きな負担になっていったと考えられます

節子の存在(幼い子供)が食糧配給の少ない中で特に負担に感じられたのではないかという考察もありました。

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理由②長期化するにつれ経済的・精神的負担が増した

西宮のおばさんの態度が冷たくなった理由といわれる2つ目は、『長期化するにつれ経済的・精神的負担が増した』です。

最初は親戚として清太と節子を受け入れたおばさんでしたが、生活を共にする期間が長引くほど経済的・精神的な負担が増えていきました。

戦争の長期化はおばさんだけでなく人々の心の余裕を奪い、周囲との関係を冷え込ませる要因にもなったと考えられます。

理由③清太の態度に不満があった

西宮のおばさんの態度が冷たくなった理由といわれる3つ目は、『清太の態度に不満があった』です。

清太が学徒動員に参加せず、家事や手伝いにも消極的だったことに、おばさんは苛立ちを募らせていきます。

自分たちが必死に働いている中で、年頃の清太が労働や家事をしない様子は、戦時下では「怠けている」と映った可能性が高いでしょう。

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理由④見返りがないことが分かった

西宮のおばさんの態度が冷たくなった理由といわれる4つ目は、『見返りがないことが分かった』です。

西宮のおばさんにとって清太と節子は遠縁の親戚ではあるものの、2人の父親が海軍士官のためお礼など見返りを期待して預かったのではないかという声がありました。

  • 母親が亡くなったとわかったとき
  • 父親から手紙の返事がないとわかったとき

の描写から、見返りを期待できないことをわかったおばさんの変化を感じた視聴者は少なくないようです。

理由⑤軍人への不満があった

西宮のおばさんの態度が冷たくなった理由といわれる5つ目は、『軍人への不満があった』です。

作中で「海軍さん」というセリフが何度か出てきており、おばさんが軍人に妬みのようなネガティブな印象をもっていたと考えられています。

そのため、海軍士官の子どもである清太と節子に対しても、無意識に厳しく接してしまったのかもしれません。

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西宮のおばさんと清太・節子の関係

西宮のおばさんは、清太と節子の父親のいとこの妻にあたります。

清太と節子が頼ることになる「西宮のおばさん」は、作中では夫を戦争で亡くした未亡人であり、自分の娘と下宿人と共に暮らしている様子が描かれています。

つまり、清太と節子とは直接の血縁ではなく、あくまで姻戚関係から生まれた縁です

2人が住まわせてもらっていた家はおばさんの実家なんだって

親戚としてのつながりはあるものの、実際に生活を共にするのは初めてで、しかも戦時中という厳しい状況が二人の関係をさらに複雑にしました。

おばさんは当初、親戚として二人を受け入れますが、物資不足や生活習慣の違いから徐々に距離が生まれ、互いに不信感を募らせていくことになります。

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高畑勲が描きたかった「西宮のおばさん」

放送の度にSNSで大きな話題となる「西宮のおばさん」ですが、監督の高畑勲さんはどのような意図をもって描いたのでしょうか。

2015年のインタビューで、「誰もが、自分もそうなるのかもしれないと怯えて欲しい」と語っています。

僕が大事だと思ってつくったことがあるんです。

 誰もが、あの西宮のおばさんのような人間にすぐになっちゃうんじゃないか、と。見た人は、そこに怯(おび)えてほしいんですね。

 自分が今は善人になってるかもしれないけど、必ずしも善人を貫けない危険性は常にはらんでるっていうようなこと。

引用元:朝日新聞(https://www.asahi.com/articles/AST5P2SMST5PULLI01CM.html?ref=tw_asahicom)

つまり西宮のおばさんは、「悪役」として描かれているのではなく、極限状態では誰もが冷たい行動を取ってしまう可能性があることを象徴している存在だと言えます。

SNSでも「おばさんは冷たい」「仕方ない」という二極化した意見が繰り返し見られますが、それこそが高畑監督の狙いだったのかもしれません。

誰もが必死で生きるしかなかった時代。おばさんの姿に、自分自身を重ねてしまう視聴者も少なくないでしょう。

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まとめ

この記事では、『火垂るの墓』に登場する西宮のおばさんの態度が冷たくなった理由について、5つの視点から解説しました。

戦時中という極限状態の中での人間関係は、現代の価値観では計り知れない部分も多くあります。

清太や節子を「守るべき存在」と見るか「負担」と見るかは、その時の状況や心の余裕によって大きく変わってしまうもの。

西宮のおばさんを冷たいと感じるか、仕方ないと理解するか。その答えは、視聴者一人ひとりに委ねられているのかもしれません。

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