2025年3月10日に公開されたセコムの新CM「夢の対決」編が話題です。大谷翔平選手と現役時代の長嶋茂雄氏が出演しています。

セコムのCMといえば長嶋茂雄さんだよね!豪華すぎる共演が実現したんだ!
CMでは、大谷翔平選手と長嶋氏がマウンドで直接対決。その演出をきっかけに「長嶋氏にメジャーからオファーがあった」という過去のエピソードが再び注目を集めています。
この記事では、長嶋茂雄氏の現役時代にメジャーリーグからのオファーが実際にあったのか、そしてなぜ実現しなかったのかを詳しく解説します。
- 長嶋茂雄氏は1961年の春季キャンプでドジャース関係者からメジャー移籍を打診されるも、巨人側の強い引き止めにより実現しなかった。
- 長嶋茂雄氏のメジャー移籍が実現しなかった主な理由は、当時の日本プロ野球に前例がなかったことに加え、巨人の球団経営方針や正力松太郎氏の説得が大きく影響したため。
- もし長嶋茂雄氏がメジャー移籍していたら、日本球界のスター選手の流れが変わり、プロ野球の歴史にも大きな影響を与えていた可能性がある。
セコム新CMで長嶋茂雄のメジャーオファーが話題


60年前、1人の日本人に、アメリカから実は声がかかっていた
この一言から始まるセコムの新CM。ピッチャーマウンドに立つ大谷翔平選手と、バッターボックスに立つ若き日の長嶋茂雄氏。野球ファンだけでなく、多くの視聴者がこの貴重な映像に感動しました。
CMを見た視聴者からは、長嶋茂雄氏のメジャー移籍に関する疑問や驚きの声が多く寄せられました。
長嶋さんに声かかった話初めて聞いた!!
ドジャース戦でやってるセコムのCM長嶋さんがメジャーから声かかってたのって本当なの?
当時のメジャーリーグからのオファーについて詳しく見ていきましょう。
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長嶋茂雄へのメジャーオファーは本当!3人からの熱い誘い
ただし、正式な契約交渉や具体的な入団の話にまでは至りませんでした。
1961年、巨人軍はアメリカ・フロリダ州ベロビーチで春季キャンプを行いました。その際、少なくとも3名の関係者が長嶋氏にメジャー挑戦を打診したと言われています。
長嶋茂雄さんのメジャーオファーに関わったとされる3人の人物がこちらです。
- ドジャース「オルストン監督」
- ドジャース会長補佐「アイク生原(いくはら)氏」
- ドジャース「ウォルター・オマリー会長」
それぞれのエピソードを紹介します。
オルストン監督
長嶋氏の入団4年目でのベロビーチ春季キャンプ。いつかメジャーでプレイしたいと考えていました。
当時のドジャース監督であるウォルター・オルストン氏は、キャンプ中に長嶋氏へ直接声をかけました。
『きみ、大リーグでヤル気はあるかい?』
長嶋氏は驚きながらも、
『ハイ、機会がありましたら…』
と返答したと言われています。
(出典:zakzak)
アイク生原氏
アイク生原(いくはら)氏は当時のドジャースの国際担当会長補佐であり、長嶋氏と個人的に交流がありました。
彼は長嶋氏の実力を高く評価し、ドジャースへの1~2年のレンタル移籍を提案したといわれています。
ウォルター・オマリー会長
上記のエピソードから2年後の1963年のシーズンオフ、ドジャースのウォルター・オマリー会長が来日し、巨人に対して『長嶋トレード』を申し込んだそうです。
監督、国際担当、会長と、球団の重要人物3人が長嶋茂雄氏の獲得に積極的だったことが分かります。
メジャー移籍が実現しなかった理由4選!
これほどの熱烈なオファーがあったにもかかわらず、長嶋氏のメジャー移籍は実現しませんでした。
ここでは、長嶋茂雄氏の移籍が実現しなかった理由を4つのポイントで解説します。
- 巨人の強い引き止め
- 前例がなかった
- 正力松太郎氏の説得
- 日本とアメリカのスポーツ文化の違い
それぞれ見ていきましょう!
理由①巨人の強い引き止め
長嶋茂雄氏のメジャーリーグ移籍については、巨人側が強く拒否したと言われています。
巨人は長嶋茂雄氏を球団の「看板スター」として扱っていました。当時の日本野球界ではスター選手の流出は興行面やチームの士気にも影響を与えるため、球団は強く引き止めたと言われています。
理由②前例がなかった
現在では多くの日本人選手がメジャーリーグに挑戦していますが、1960年代当時、日本のプロ野球選手がメジャーへ移籍する前例はありませんでした。そのため、球団側としても移籍を認める環境が整っていなかったと考えられます。



もし実現していたら日本人メジャーリーガー第1号だったね。
理由③正力松太郎氏の説得
さらに、巨人のオーナーであった正力松太郎氏が、長嶋氏に対して強く残留を説得したことも一因とされています。
『馬鹿野郎、お前は日本の野球のためにいなきゃダメだ。日本の文化なんだから』
引用元:東スポWEB
長嶋茂雄氏のメジャー挑戦はこの言葉が決定打となり、幻となったのかもしれません。
理由④日本とアメリカのスポーツ文化の違い
1960年代、特に特に日本のプロ野球は依然として伝統的な体制が色濃く残っており、選手のキャリアパスにおいても国内リーグでの実績が大きな評価を受けていました。
アメリカのメジャーリーグでは、選手は国際的な舞台で活躍することを目指し、より多くの選手が自ら移籍を選ぶ状況がありましたが、日本の球団はそのような流れにまだ馴染んでおらず、選手の移籍がそれほど一般的でなかったのです。
この点については、長嶋茂雄氏自身も言及しており、「当時の日本では選手が海外に挑戦するという考えがほとんどなかった」と語っています。
したがって、メジャー移籍の話が進んだとしても、文化的な背景がそれを阻む一因となったと言えるでしょう。



正力松太郎さんの言葉は日本のプロ野球の伝統的な価値観から来ていたのかもしれないね
もし長嶋茂雄がメジャーに行っていたら?幻のシナリオ
長嶋氏自身は、過去のインタビューで「もし自分がメジャーに行っていたら」と仮定した際、次のように語っています。
「あちらではどうでしょう、僕は中距離ヒッター、(打率)2割7、8分辺りで1、2番タイプでしょうかね」
(引用元:zakzak)
また、SNSでは「もし長嶋茂雄氏がメジャーリーグに行っていたら?」という仮説がさまざまに語られています。
長嶋が60年前にメジャーに行ってたらここまで日本のプロ野球って人気が出てないと思う。
当時のメジャーで活躍しても、日本でその姿をリアルタイムで見るのは難しかったかも。
王貞治と長嶋茂雄がメジャーに行っていたら、日本のプロ野球は今ほど人気がなかったかもしれない。
長嶋茂雄氏のメジャー移籍は幻となりましたが、その影響力は今なお語り継がれています。
まとめ
この記事では、長嶋茂雄氏の現役時代にメジャーリーグからのオファーがあったのか、実現しなかったのはなぜか、をまとめました。
長嶋茂雄氏は現役時代、ドジャースを中心としたメジャーリーグの球団から熱いオファーを受けていました。しかし、球団の引き止めや時代背景の影響により、移籍は実現しませんでした。
もし当時メジャー挑戦が叶っていたら、日本の野球史は大きく変わっていたかもしれませんね。
サムネイル画像出典:Wikipedia